KOTOBASM

思考しえぬことを我々は思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことを我々は語ることもできない。

哲学と心理学の違いを考える

 職場にYさんという人がいて、Twitterで相互フォローしている。この人は体育大学を出たアスリートでもあるのだが、彼女が先日、僕が大学で専攻している哲学について、自分も興味があると話しかけてきた。

 

 その話の中で、哲学と心理学はどう違うのかと聞いてきた。僕の中ではまったく別物だろうという感じだったのだが、”感じ”は”感じ”なのである。じゃあそれを論理だてて説明できるかといえば、説明ができない。

 

 そもそも哲学と心理学はどう違うのかなど、考えたこともなかった。なので一旦は保留して考えてみることにした。哲学というのは、さまざまな学問の祖となるもので、数学や物理学なんかも哲学の一部であったりする。

 

 また哲学というphilosophyの訳語は、明治初期に訳されたもので、哲というのは人の道という意味になる。だから東洋哲学や印度哲学みたいに、宗教的なものも入ってくる。だが本来、近代の西洋哲学というのは、宗教とは別物であるということになっている。

 

 じゃあ哲学ってなんなのということになるが、自分が考えるためのヒントを与えてくれる学問である。人はどう生きどう死ぬべきか?から、筋道を立ててどう考えるべきか?まで。難解な哲学の本というのは読んで内容を理解して終わりでなのではなく、いかに自分の思考に役立てるかが問題なのだ。

 

 次に心理学について言及すると、まず心というのは実体がない。心というのは抽象的な表現であり、実際は脳の働きにより出現するものである。心理学というのは、その脳の働きとそれによる運動を客観的にみて、実験観察する学問である。

 

 これを簡単に言葉にしていいのか考え物だが、哲学というのは対して内向的なものである。本当に考えるのなら、情報は一切遮断しなくてはならない。部屋を真っ暗にして視界を遮り、耳を塞ぎ、口に何も入れずにただ考える。

 

 哲学と心理学というのは、主観で考えるか、客観で観察するかの違いかもしれない。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。